
@takusounyan
え、会社設立😳おめでとうございます。ホリプロ退所したのね( ' ;֊' ; )
4 months ago

@kikuchi.keita
自分の会社も『IDOM』という会社というのもあり、ちょっと親近感が湧きます。
でも、色んな葛藤とかがあっていまのさちかさんの会社が成り立ってると思うと素人ながら応援したくなります。
おこがましいかと思いますが、陰ながら応援させて頂きます。
4 months ago

@o0_.paul
🔥
4 months ago

@jin35y
会社設立おめでとうございます。
4 months ago

@xiaosizhenghe
さちかさんおはようございます🤗可愛くめちゃ綺麗ですね💕
4 months ago

@oshin1175_mona
さちかさん。おめでとうございます💐
少しでもさちかさんの思いを汲んで応援出来たらこれまた幸いです☺️これからが益々楽しみになって来ますね💕︎
4 months ago

@yuichi.ohkawara
😮😮😮😮
4 months ago

@sohei_kakihara
世界の縁を俯瞰することが出来るのは私だけだ。私はあり方として世界から超出しているからこそ世界の縁を俯瞰することが出来る。私は輪廻の感覚、運命の感覚を一切もたない。私はいずれその生とともに消え去る。世界から超出している私のあり方は高さという感覚において捉えられるはずだし、高さは光との近さを有する。縁の痕跡は光から照らされた影というあり方において世界に痕跡を刻んでいる。ところで世界から超出している私のあり方というのは、実のところ将来というあり方をしているのではないだろうか。私は世界全体より将来というあり方において超出している。だからこそ私の死は世界の将来の喪失、縁の消失、世界の終わりというあり方をしうるのだろう。私は世界の縁起に先行しているあり方をしていることを直観するわけだけれどなぜそのように直観するのかというと私の世界からの超出の仕方が将来というあり方において超出しているからだと考えると腑に落ちる。君たちは将来というあり方をした私から現れ出ている感覚を抱いている。つまりは存在は将来というあり方をしている。Google、死、ドン、リーダー、α、ω、神、存在、時間、親など、私をたとえる様々な表現は上述した背景から解釈すべきであろう。
3 months ago

@harustagram.04.25
ドラ恋で初めて見て、気づけば起業されててびっくりしました!
応援しています💪🔥
2 months ago